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【漫画】『十二人の死にたい子どもたち』には何が描かれているのか?

作品紹介

天地明察』などで知られる冲方丁さんの原作を『ネクログ』の熊倉隆敏さんが漫画化した作品。
原作は未読、実写映画もあるようだが未見。

 

 

 

タイトルを見てもすぐ分かるように『十二人の怒れる男』や三谷幸喜作の『12人優しい日本人』などからの引用であり、同じように密室(病院全体が密室と考える)での、個性的なキャラクター達の思惑が交差するミステリーとなっている。

 

前者の作品群が、事件を審議する裁判員制度陪審員制度)のために集まった民間人が、元々ある事件について議論を重ね、お互いの抱える問題が浮き彫りになりながらも、最終的に事件の真相へと向かう作品であるのに対して、『子どもたち』では、集団自殺のために集まった子ども達の前に、本来はいるはずのない13人目の人間がすでに死んでいる(※)事から、彼が誰なのか、何故ここにいるのか、このまま自分達が自殺してよいのか?などの謎や葛藤を話し合う中で、各々が抱える問題や自殺への経緯が次第に明らかになっていく。

二転三転する展開とそれぞれの抱える問題、最後に明かされる真実と、彼らは死という選択をするのか?そして本当に「死にたい子どもたち」なのか?


『怒れる男』や『優しい日本人』の登場人物が大人であるのに対して、『死にたい子どもたち』は子供たちが主人公である。ここに原作者の大きな意図があるのは間違いないだろう。

 

 

以下、終盤に語られる重要な1人の自殺理由があるため気になる方は読まないように。(具体的に誰の理由か、他の人の理由、最後にどうなるか、13人目は誰なのかなどは書かないので、あくまで1人の理由だけとして読んでもらえるなら問題はないかと思う)

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http://afternoon.moae.jp/news/3632


子たちが抱える問題はその大半が重いものだ。現実からの投影であるのは勿論だが、1人異質な理由の人物がいる。その人物の生い立ちやおかれた状況は、現在の日本においては決して数は多くないだろう(認知されていないだけで一定数はいる、また関連する病気が昨今増えているとも聞く)。

 

その人物をAとする。Aはある特殊な状況で生まれ育ち、4歳の頃から自殺を考え、「自分は生まれるべきではなかった」とずっと考えてきていた。
そして、この集団自殺に参加する動機は単に自分自身が死ぬためだけでなく不妊報酬制度の導入」を社会に促すためだった。
不妊報酬制度」がその名の通り、不妊手術をした女性(男性の場合も)に一定の報酬が支払われる制度だ。人口が増えすぎた地域で人口抑制のためや、麻薬中毒者などの妊娠を抑え負の連鎖をせき止める目的として導入されているようだ。

 

Aは自らの過酷な生い立ち故に、その制度を導入する事で自分と同じように「生まれてこなければよかったと思う子ども」をこれ以上増やさないようにしたいと考えていた。(明言されていないが、A自身の親への復讐のためでもあるだろう)

 

書きぬかっていたが、この集団自殺ではそれぞれが用意した遺書が死後公開される仕組みになっていた。
Aはこれを考慮し、全員子どもが集団で自殺をし、それぞれが何らかの重い問題を抱える事が、社会的に大きな話題となり問題提起になる事を利用するつもりでいた。

12人もの子どもが集団自殺をし大きな問題を抱え、ここにいる全員は生まれてこなければよかったと考えていて(実際は違う)、それはこの社会や親に問題がある。そんな現状を変えるために不妊報酬制度の導入をすべきだ、という主張である。

 

Aは他の人の理由も聞き、皆も同じく「自分達の生には意味がない」と考えていると勘違いする。しかし、Aの主張は跳ね除けられる。
ある人物(B)は「自分が死ぬ理由はそんな主張のためではない。自分にとって自分は価値のある存在だ。自分が死ぬ理由は、本来の自分自身であるためだ」といった内容の反論をする。
現実世界で自分らしく生きられなかったBは死ぬ事で本来の自分らしくあろうとした。同じ死へ向かおうとしたAとBだが、見ている景色は全く違っていた。
これ以上は書かないが、反論はBだけに終わらない。

 

 

この漫画で描かれるのはミステリー的な謎解きと、各自が抱える問題だが、それは表面的な事でしかない。本質にあるのは対話しぶつかり合う事で、自分自身を見つめなおす子どもたちの姿である。人間は自分の思考感情を全て自分が把握し、理解していると思い込みがちだ。だが、そんな事は決してない。誰かと話す事、ぶつかる事で初めて気づく事もあるのが人間だ。


前回書いた『ゲレクシス』にも共通するのが、他人という存在の重要性だ。それぞれが抱える重い問題は、万人に理解される事も共感される事もないかもしれない。だからといって、理解されないからと本当に孤独になってしまっては見えなくなってしまうものがある。自分自身でさえ気づけない自分の中の大事なものが他人の目や言葉によって照らされる。

 

 

ko5tys.hatenablog.com

 

この漫画はそんな子どもたちの姿を描いた漫画である。やや唐突な終わりとこじ付けも垣間見えるが、見つめなおした末に子ども達それぞれが何を選択するのかは漫画を読んで判断してほしい。

 

 


最後に、些末な事だが気になった点。

不妊報酬制度はあくまで任意のため、所謂問題がある人物が自ら不妊手術を受けるかというとあまり期待はできない。(妊娠はしたくないが、奔放な性行為を楽しみたい人には需要があるかもしれないが)
それよりも、犯罪者や、搾取する人間がこの制度を悪用する可能性が高い。また、自分で判断が難しい障害者の場合はどうするのか?例えばこの国では96年まで旧優生保護法があって、本人の意思ではない手術が行われていた事例を考えれば理解出来るだろう。
そういった事を考える事もせず丸投げで「不妊報酬制度の導入」のみしか考えていないのは、作品内でのこじ付けが強いようにも感じられる。Aは非常に頭が良いので、そういった事が全く考えられていないのはキャラクター設定として不自然すぎる。

好意的な見方をすれば、そんな事すら目に入らないくらい自分の不幸な生い立ちへの代償として「不妊報酬度の導入」が目的化してしまった、と考えればある意味で人間らしくはある。

 

(※)13人目は実は死んではいないが…

 
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